「聴いて学べる山田流お箏」実施報告
皆さんは音楽鑑賞はお好きですか。
一口に音楽といっても様々な楽器やジャンルがありますよね。
今回の区民大学講座のテーマに選ばれたのは、「箏」です。
日本の伝統的な楽器である箏の演奏を聴き、その優雅で奥深い音色を味わい、さらに筝の演奏の流派である「山田流」と葛飾区の意外なつながりについても学びました。
なお、本講座は「かつしか区民大学区民運営委員会」の企画・運営で開催いたしました。
美しい音色を聴きながら…
今回の講座の講師を務めていただいたのは、山田流筝曲協会・日本三曲協会の須田悠鈴(すだ ゆうすず)先生です。
須田先生は箏の演奏が素晴らしいことはもちろんですが、今回は区民大学の講座であるということで、単に演奏を聴くだけではなく、もっと箏を身近に感じてもらうために、独自の講義を一から組み立てていただきました。
講座では、舞台の幕が開けると同時に「六段の調べ」の演奏が始まり、一気に箏の世界に引き込まれました。
この美しい音色を奏でる箏はどのようにして作られるのでしょうか。
箏の胴体の部分は新潟や会津の桐を使って作るのだそうですが、なんとその期間は5年ほどもかかるそうです!
驚きですね!
そして、箏の形はある空想上の生き物をかたどっているそうなのですが、それが何かわかりますか。
実は、「龍」をかたどっているそうなのです!
そのため、箏の部位にも「龍頭」、「龍尾」といった名前がついています。なんだか優美でカッコいい感じがしますね。
また、箏爪は象牙を使ったものもあるのですが、現在はワシントン条約による動物保護の対象となっているため、新しく象牙の箏爪を作ることは難しいそうです。
ただ、本来箏はすべて自然界のものを使った方が美しい音色が出るとのことでした。
山田流と葛飾区のかかわり
さて、ここまで箏についてのお話をしてきましたが、冒頭でも触れた、山田流筝曲と葛飾区のかかわりがどのようなものか、皆さんはご存じでしょうか。
山田流筝曲の祖である山田検校は、江戸時代中期の筝曲家であり、文化14年(1817年)に亡くなり、浅草山谷の源照寺に葬られました。
その後、大正12年(1923年)の関東大震災により当時の源照寺が焼失してしまったため、昭和3年(1928年)に葛飾区高砂へお寺とともに山田検校のお墓も移転されました。
そうした縁もあり、区内の学校の郷土学習などでも使用されている「かつしか郷土かるた」に山田検校の読み札もあるのです。
「かつしか郷土かるた」について詳しく知りたい方は、ぜひ下記リンクをご覧ください。
実際に見て、触って
当日行ったのは箏の演奏と講義だけはありません。
箏に関する貴重な資料の展示を会場内で行い、休憩時間などに自由に見られるようにしていました。展示したのは、山田流筝曲協会の演奏会の演目、次第や山田流の系譜図、そして上記でも紹介した「かつしか郷土かるた」などです。
さらに、休憩時間には展示の見学だけではなく、講師の須田先生の指導を受けながら、実際に少し箏を弾いてみることもできました。
参加者の方は箏自体触ったことがない人が多い様子でしたが、須田先生が丁寧に教えてくださったこともあり、皆さんとても盛り上がりました。
企画者の想い
ここで本講座の企画メンバーである第8期区民運営委員の福原さんから、今回の企画にかけた想いをお聞きしました。
参加者の声
お箏の演奏を聴かせて頂きありがとうございました。お箏が身近になったような気がします。
箏に触れたことがなかったので貴重な体験をさせていただきました。山田検校の墓が高砂にあったとは知らなくて興味が一段とわきました。
生の演奏を聴かせていただき、歴史も学べてためになりました。
先生のお言葉が優しく届きました。
終わりに
今回の講座は、箏について体験を通してたくさんのことを学ぶことができました。
担当として印象に残っているのは、講師の須田先生が、少しでも多くの方に箏に親しみを持ってもらいたい、楽しんで講座に参加してもらいたい、という強い思いを持っていらしたことです。
その思いが参加者の方にも伝わり、とても温かい雰囲気の講座になったと感じています。
最後まで本記事をお読みいただきありがとうございました。
文 濱田